年越しそばの由来!金運がよくなるの?いつ食べるのがベスト?

大晦日につきものの年越しそば!
ところで、どうして年越しには蕎麦なのでしょう?

もしかしたら、バレンタインデーのチョコレートのように
そばの業界関係者が広めたとか?(笑)

子供のときから、何も考えずに、食べてきた
年越しのそばの存在が気になってきました。

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そんなわけで、年越しそばの由来を調べてみることにしました。

すると、、、
出てくる、出てくる、びっくりするほどの由来を発見!

面白いほどたくさんの由来を見つけてしまいました。

果たして、年越しそばは業界の陰謀なのか?
ちゃんとした理由があるのか?

気になる人はぜひぜひ、、どうぞ。

なんと、年越しそばで金運がよくなる?
かもしれなかったのです。

そばはいつから食べられてきた?

中華そばに対して、日本蕎麦というように
そばは日本食の代表のひとつですよね。

他の国で食べるのを聞いたことがありません。

日本人はいつから蕎麦を食べるようになったのでしょうか?

一説によると、奈良時代以前に朝鮮半島から、伝わってきたそうです。

歴史は古そうです。
日本古来の食べ物のひとつと言ってもよいのでは?

当時、曾波牟岐(蕎麦/そばむぎ)、あるいは
久呂無木(くろむぎ)と呼ばれ、麦の一種として扱われていました。

しかし、当時、そばが人気のあった
食べ物だったかと言うと疑問です。

平安時代、道明という歌人が残した文献によると
『食膳にも据えかねる料理が出された』と
そばに対して、驚いたさまがみられます。

平安時代は、そばは農民が飢えを凌ぐために食べるもの。

僧侶や貴族などの上流階級のひとたちにとっては
食べ物とも思われていなかったようです。

もちろん、この当時のそばは、いま私たちが食べる
蕎麦とは違ったようです。

どちらかと言うと、そば粉を水でといて焼いたものや
団子状のようなもので、いまの蕎麦のイメージとはかけ離れたものでした。

もりそば

そば粉をめんのようにして食べる蕎麦は
蕎麦切り(そばきり)として、16〜17世紀ころに広がりました。

長野県の木曽郡に定勝寺というお寺があります。

そのお寺の、1574年(天正2年)初めの建物修復工事完成に際しての
寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」という文言が残っています。

1570年ころには、蕎麦切りがあったことの証明になりますよね。

この蕎麦切りが略されて、現在の蕎麦と呼ばれるようになりました。
江戸時代になると、蕎麦は庶民の食べ物として、爆発的に拡がったのです。

年越しそばは縁起がよい

江戸時代からは、みんなに食べられるようになったきた
蕎麦ですが、この蕎麦は縁起かつぎにも活躍してきました。

そばは縁起がよい!

それが、年越しそばの由来として大きな理由になるようです。
まずは『年越しそば=縁起説』をピックアップしてみました。

蕎麦は捲土重来(けんどちょうらい)の象徴

そばは、雨風に強く、寒い土地でも育ちます。

お米ができないような痩せた土地でも
蕎麦ならば育ちます。

干ばつにも強い!

もともと、飢饉のときに農民の非常食として
重宝がられた食べ物です。

風で倒れても、翌日に日が射したら
起き上がると言われています。

植物としては、かなり根性が強いと言えそう。

いちど失敗しても、再び勢いを取り戻すことができるのです。

まさに、捲土重来(けんどちょうらい)の
食べ物として、縁起がいいのです。

無事息災の象徴のおめでたい食べ物

「世の中にめでたいものはそばの種 花咲きみのりみかどおさまる」

室町時代、関東三長者のひとりである、増渕民部の歌が残っています。

この当時は、まだ蕎麦切り以前の時代です。
団子のようなもの、いまでいうと、蕎麦がきを食していました。

どうして、そばの種がめでたいのでしょうか?

秘密は、その形にあります。

そばの実は三角形。
古来より、三角形は邪気を払う力があると信じられてきました。

そして、三稜角(さんりょうかく)と漢字で書くと

三稜 = みかど と読むことができて
『帝』と掛る言葉になります。

花が咲いたあとに、実になったそばのなかには
みかどがきっちり治まっている。(収まっている)

つまり、そばの形が縁起がいいという説です。

そばで金運がよくなる

江戸時代の金細工師とそばは切り離せません。

細工のときに、散らばった金粉をお掃除するときに、そばが活躍します。

練った、ソバだんごをころがして
散らばった金粉を集めていたのです。

そばで金が集まる!!!
これは、どう考えても、縁起がいいですよね。

そこから、『蕎麦にはお金が集まってくる』と言われるようになりました。

そばで長寿?

そばは、細くて長いですよね。

そこから、寿命も長く伸びるように!という、長寿を願う縁起物。
これは、わかりやすい説ではないですか?

これは、現代でも簡単に連想されますよね。

寿命そば、延びそばと呼ぶこともあります。

そばで縁切り?

そばは、うどんなどに比べて切れやすいですよね。

そこから、旧年の厄、苦労などを断ち切ることが
できると言われるようになりました。

そして、お金がらみで言うと、、、

借金を打ちきる意味で「借銭切り」又は「勘定そば」といい、
そばを食べ切ると良いという説があります。

このときは、必ず残さずに食べなければいけないルールがあります。
借金は持ち越したくないですからね。(笑)

穢れ(けがれ)を払う

そば殻を焼いた灰で、食器などを洗うと
汚れがすごく落ちるそうです。

そこから、汚れを落とす=穢れ(けがれ)を落とす。

旧年の穢れ、あるいは汚れをを落として、
まっさらな気持ちで、新しい年を迎える。

これも納得できる説です。

年越しそばは商人の都合?

そばは縁起が良いので、年越しそばとして、取り入れられた。

そんな縁起説以外にも、昔の逸話や習慣から
年越しそばが取り入れられた。

そんな説もありました。

まずは、江戸の商人説からです。

江戸の中頃、商家の多くで、毎月の月末に
蕎麦を食べる習慣がありました。

月末、、、そして、商人、、

江戸の商人

そうです。
月末は集金や棚卸しなどで、商売人にとっては、忙しい時期なのです。

そんなときに、ばっと食べられる蕎麦が重宝されたのでしょう。
早食いにぴったりのメニューなのです。

多分、江戸時代のファストフードという感じだったのでは?

おまけに、蕎麦は出前をとることができるたべものでした。

商家の主が蕎麦の出前をとってあげて、
使用人の労をねぎらう、そんな意味もあったのです。

月末のそばを『晦日そば』と言っていました。
この習慣が大晦日の年越しそばとして残っているという説です

次に、博多のお坊さんの説が見つかりました。

これは、鎌倉時代のお話です。

博多の承天寺で年の瀬を越せない町人たちに
お坊さんが、そば餅をごちそうしたそうです。

すると、翌年から、振る舞われた町人、
みんなの運がよくなりました。

それから、大晦日に『運そば』を食べて
運気をあげようという習慣が始まりました。

ちなみに、このそば餅をごちそうしたのは
お坊さんではなく、宋の豪商という人もいるようです。

運気そば、福そばとも呼ぶそうです。

年越しそばはいつ食べる?

どうでしょうか?
探せば、もっといろいろ年越しそばの由来はありそうです。

ところで、年越しそばを食べるタイミングはあるのでしょうか?

私の場合は、母が大晦日の晩に夕ごはんのかわり
そばを用意していたのですが、、、

やはり、年を越す前の夜食として食べるが
本当の年越しそばなのでしょうか?

天ぷらそば

これに関しては、ルールは見つかりませんでした。

私の家のように、夕ごはんとして、そばを食べる家。
夕ごはんを食べて、夜食として食べる家庭。

どちらでもいいようです。

しかし、食べ始めるタイミングより大切なことがひとつ!

それは、そばを食べ終わるタイミングです。

年越しそばは、年をまたいで食べると縁起がよくありません。
そして、食べ残しはタブーです。

これらは、縁起説と関わりがありますが、
旧年の穢れを落として、新しい年を迎えないといけません。

そして、旧年の厄などをきっちり、断ち切るという意味で
年をまたいではダメなのです。

勘定そばの意味合いからも、借金や苦労などを断ち切らないといけないのです。

新年を迎える前に、そばを残さず、食べきる。
それが、年越しそばのルールと言えそうです。

最後に付け足しの情報をひとつ。

私は、そばは日本にしかないものと思っていましたが、
そば粉を麺状にして食べる国は他にもありました。

フランス、イタリア、中国、朝鮮半島(北朝鮮・韓国)、
ブータン、ネパールで食べられているそうです。

しかし、日本のそばとはやはり違うもののようです。

しかし、イタリアには、そば粉を使った
きしめん状のパスタがあるそうです。

これが、1番、日本そばに近い気がします。
機会があれば、食べてみたいものです。

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